フィンランド文化研究の家ができるまで

2006年OECDの学習到達度調査(PISA)でフィンランドの子供の学力が世界一となったことで、日本のマスコミは一気にフィンランドに関心を寄せました。
あるテレビ番組でインタビュアは、「フィンランドは子供の学力が世界一になりましたが、離婚率も世界トップですね・・・」と、現役フィンランド首相に意地悪く質問したところ、
「心が離れてしまった二人が一緒に暮らすことは、決して幸せとは言えない」マッティ・ヴァンハイネン・フィンランド首相は当たり前のことのように答えました。
「一国の首相が堂々とこう言える国を見てみたい!」思わず口走った妻。この一言が想像もしたことない未来へ私たちをつれていくことになりました。
半年後、妻は周到な旅の準備(旅行用の英語とフィンランド語の勉強、フィンランドに関する書籍の読破、出国・入国手続きの仕方、宿泊ユースホステルの予約と行き方等々)を終えて%ef%bc%91、生まれて初めての海外旅行、しかもパック旅行ではない一人自由旅行を決行したのでした。妻が54歳の時のことです。
2週間の旅を終え関西空港に到着後、緊張が緩んで大阪駅までの電車では爆睡してしまったとのこと。緊張とハプニングの連続でフィンランドではろくに眠れなかったことを、土産話で聞きました。
2週間程度の旅でその国の何がわかるわけでもないのですが、右も左もわからない初めての海外自由旅行、英語もほとんど話せない五十歳過ぎの女性が感じたことは、落ち着いた静かさとみんなが幸せそうに見えた平穏な国ということだったようです。
妻はこの旅がキッカケとなってフィンランド関係の書籍をさらに読み漁ることになります。フィンランドについてのことを妻が私に話すたびに、「そんな国がこの世界にあるわけない! きっと国民は巧妙に政府に騙されている(洗脳されている)に違いない」と懐疑的になるばかりでした。
しかし、妻のこのフィンランド旅行は、私たちの人生を想像もしなかった未来へとつながる道を歩み始めたことだったのです。
この出来事から2年後、(妻が初めてフィンランドのユースホステル宿泊が縁で)私たちはベッド数50のユースホステルを経営することになります。フィンランド語で好きな言葉を客室の名前にしたり、宿泊者との話題はフィンランドのことばかりなど、ちょっと変わったユースホステルであったかもしれません。
そんなある日の夕食後の団欒の時、「若い君たちは大変だな。俺たちは年金もらって優雅に暮らしているけど、お前たちが年金もらう頃には年金制度はつぶれてるぞ。だから、幸せな人生にしたかったら、我慢して金を貯めることだね。会社では上司に媚びて媚びて、出世しなくちゃな・・・」と、私たちと同世代の宿泊者が若い人たちに偉そうに自慢話。
「何を偉そうに言っているんだ! こんな日本を作ってしまったのは俺たち世代だろっ! このツケを子供の世代に押し付けて、お説教するのか!」
思わず喧嘩を売ってしまった私です。もともとユースホステルは旅を通して真摯に人生を学ぶための安価な宿泊施設であるのに、そして、その施設を利用している宿泊者同士であるのに、現役時代をうまくすり抜けられたと上から目線で言っている姿を見て、同世代のものとして恥ずかしく、怒りがこみ上げたのです。
大人だけでなく子供までもが『お客様は神様です』根性で、お金を支払う(与える)側の時の横柄な態度が当たり前になっている日本に、居心地の悪い息苦しさが爆発したのかもしれません。
「マリちゃん(妻の名前)の言うフィンランドを見てみたい、本当にそんな良い国なのかこの目で確かめたい!  本当にそんなに良い国なら、日本にも希望があるよ。フィンランドを見に行こう!」
翌日航空券を買って、数日後には私たちは夫婦はフィンランドを旅していました。%e3%83%98%e3%83%ab%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%ad%e7%a9%ba%e6%b8%af
デジャブ…… ここは知っている!
石造り古い建物と石畳の道、白樺の街路樹、街の中の木々に囲まれた大きな公園・・・朝が来て目覚めるたびに「新しい時代」が始まっていると期待できる光景、空はあくまでも青く、草木はすがすがしい緑に輝き、人は踊りながら行きかう。子供たちだけでなく誰もがそんなふうにしている光景〈私の大好きな本の一節〉がいたる所にありました。
地図を広げていると「Can I help you?」と声をかけてくれるフィンランド人。フィンランドは初めてなのに、こうした雰囲気や印象は、ずっと心の奥底に眠っていたものを思い出したような懐かしく思える光景でした。すれ違うフィンランド人と目が合って会釈するたびに「お帰り・・・よく帰って来たね」と言ってくれているように、そう前世の故郷に帰ってきたような親近感を感じたのでした。
最後の希望プロジェクト
帰国するとすぐに、ユースホステル内に最後の希望プロジェクト・『フィンランド文化研究所』を立ち上げました。そして、半年後にはフィンランド文化体験施設として300㎡の住宅をフィンランドに確保しました。 賛同者と共に『人生はいいものだ』と言えるような『生きる(生きられる)場所』をつくろうとしたのですが、エゴと他人のふんどしで相撲を取りたがる日本の社会風潮に絶望ばかり…。結局、私たちの運命は、妻と私だけをフィンランドへフィンランドへと突き動かしていきました。

日本に『フィンランド文化研究の家』を立ち上げて1年後、それは妻が「心が離れてしまった二人が一緒に暮らすことは幸せなことですか?」と答えるマッティ・ヴァンハイネン・フィンランド首相の言葉を聞いてから約4年後の12月、私たちは片道切符の航空券で日本を去りました。
順調な経営状態だったユースホステルをあえて辞め、フィンランド北部の小さな村に白樺と松の森(2ha)の中に私たちの小さな家を準備して、移住したのです。6カ月も前に申請した在留許可が取得できない状態のままでの移住でした。
そして移住後さらに6か月が過ぎた後、ようやく、念願の在留許可が下りました。この日の喜びは今でも忘れられない思い出です。留学でもなければ、フィンランド人との結婚でもない、受け入れ先のある転勤や就職でもない、個人的レベルでの『フィンランドの文化研の家』で在留許可が取得できたのは奇跡としか言いようがありません。(この場合在留許可は一時滞在の扱いで、4年間毎年更新をしなければなりません。その後4年間有効の長期滞在の在留許可を取得し、次の更新では永住許可の申請をすることができます。)現在私たちは、フィンランド健康保険カードや選挙権などが与えられています。

こうして私たちは、フィンランド文化を暮らしと密着したの中で体験・研究することになったのです。
人生は不思議がいっぱいですね。〈Life is wonder(不思議)-ful(いっぱい).〉